山本之文 小原正和 長谷川徹 対談 富岡秀行:塩山紀生 対談 高橋良輔氏:大河原邦男氏
小原正和氏インタビュー
 クリエーターとは違った立場で『装甲騎兵ボトムズ』という作品の成立に尽力したスタッフたちのインタビューをお送りする本コーナー。
 第2回となる今回は、続編OVA『赫奕たる異端』の制作進行、小原正和氏が登場!
 現在は『舞-HiME』で監督を務める氏が新人時代に垣間見た、アナログ・アニメならではの想像を絶する苦労と輝きとは?
プロフィール
小原正和氏 小原正和
92年に制作としてサンライズに入社し、『装甲騎兵ボトムズ 赫奕たる異端』の制作進行を担当。『獣戦記ガルキーバ』(95 制作進行)、『新世紀GPサイバーフォーミュラSAGA』(96 設定製作)、『星方武侠アウトロースター』(98 同)などの作品を経て、『星方天使エンジェルリンクス』(99)で演出家デビュー。現在は『舞-HiME』(04)の監督として、その手腕を奮っている。
OVAならではのこだわりが生んだ濃密過ぎる(?)進行スケジュール

――小原さんは『赫奕たる異端』の制作進行として参加されていますが、まず具体的な仕事の内容からお話し願えますか?

小原:演出、作画、その他のセクションに対する発注と管理をする仕事です。その過程でスケジュールに遅れが出たら「どうなってるんですか?」と状況を確認しつつ、その後の調整もします。ただ、当時の僕はまだ新人だったので、最初は見よう見まねで何とかこなしてる状態でした。なにしろ『赫奕』はOVAなので、クオリティ・チェックの体制も二重三重になってましたから、どの素材がどこに行ってるか見失うこともしばしばで。チェック表のつけかたを教えてもらってから、やっと「なるほどね!」と納得してたぐらいです。

――素人考えだと、オンエアが決まっているTVシリーズより、OVAのほうが進行は楽そうにも思えるのですが?

小原:もちろん時間はそれなりにあったんですけど、OVAというのは繰り返し観るものですから、要求されるクオリティが違うんです。当然スタッフのこだわりも強いですから、ふたを開けてみれば一杯一杯というのが実情でしたね。
 実際作画スタッフのなかにも、「ボトムズだからやる」という人は結構いて、原画の回収に行った先でも「フィアナって本当に死んじゃうんですか?」って、憔悴しきった顔で言われたりとか(笑)。思い入れの強いスタッフが「こだわって作ってるな」っていう実感は、確かにありましたね。
 たださっきも言ったように、僕はこれが初進行だったんで、この時は「そういうもんか」ぐらいにしか思ってなかったんです。だから、こういう言い方は誤解を招くかもしれませんが、のちにTVシリーズの進行に配属された時には、すごくシステマチックなんで戸惑ったぐらいです。『ボトムズ』は編集、ARのスケジュールも不定期でしたから。そのぐらい異例というか、こだわりの強い作り方を、一番最初に見ちゃったんです。
制作進行の枠を超え身体で覚えた痛みと誇り

――では現場では進行として、相当鍛えられたんじゃないですか?

小原:そうですね。例えばカラーのフィルムがアフレコに間に合わない場合、「線撮り」と言って、とりあえず原画なり動画なりをつなぎで撮影した、動きのわかる素材を作成するんです。これは制作進行の仕事なんですが、そこで「動きのどの部分を判るように素材作りをするべきか」とか、そういうことは、編集の様子を見ながら勉強させてもらいました。
 ただいま思い返してみると、今西さんから「このセルを何mmで引きながら何秒TBするとこう見える」というお手本を見せてもらったり、リテイクが出たセルを効率的に直す方法を吸収したり、クイックアクションレコーダーの使い方を教えてもらったり、制作としては必ずしも覚えなくていいことまで含めて、ここで身につけていました。
 と言うのも、実はそういうテクニックも覚えざるを得ない制作環境だったんです。なにしろ仕上げ(カラーセル)が上がってくるのが納品1週まえとか、そういう状況でしたから。リテイクが出ちゃったら頼む先なんかなくて、結局スタジオのなかで直すしかない。「じゃあ直し要員はどこにいる?」って言うと、制作進行とプロデューサーとデスクと事務の人ト、今西さんと担当演出さん(笑)。切羽詰ってくると皆総がかりで、家内制手工業みたいに直してましたね。

――しかしリテイクするにしたって、アニメーションの基本テクニックは必要ですよね?

小原:もちろん動きが違ったり、絵のパーツが抜けてたりしたら、作画スタッフに直してもらうんですよ。ただ、その場合は間違ってた部分だけを別のセルに書き直してもらうんで、それを切り出して最初のセルに貼り付けるぐらいなら、何とか僕にもできたんです。あと、ありがちだったのは、セルのサイズが足らないっていうミス。カメラが移動するなら移動するぶんだけ、セルの幅もないといけないんですが、とくに海外へ発注したぶんはそのへんの意思疎通がうまくいかなくて。で、こういう場合はどうするかっていうと、元のセルに書かれたスコープドッグだけをチョキチョキ切り抜いて、もっと大きな別のセルに張ったりするワケです。あとはちょっとした色ヌケぐらいなら、素人技でも何とかなる。根性でカバーできるミスは、役職分け隔てなくフォローしてました。
 だからもう、リテイクが出る痛みは身体で覚えましたね(笑)。おかげでのちに演出になってからも、リテイクを出すのに何となく罪悪感があって、時々、大変そうな部分は自分で直したりしてましたもん(笑)。『ギア戦士電童』の時も、制作デスクが『赫奕』と同じ池部さんだったんですが、ふたりで机を並べてペタペタ塗り直したりして。

――それ、傍から見たら、演出と制作デスクだとは絶対わかんないんじゃないですか?(笑)

小原:でしょうね。ふたりして「お互いやってるコトは永遠にかわんないんだねぇ」とか言いながら、作業してましたから。

――そういう修羅場をくぐってこそ、今日の小原さんがあるワケですか。

小原:まあさすがに、身につけたのはそれだけじゃないですけど。アニメ業界人としての矜持というか、心構えみたいなものも、たくさん教えてもらってます。例えばリテイクひとつとっても、スケジュール的に直せないケースはどうしてもあるんですね。でもそこで「直せません」じゃなく「絶対直す!」と(笑)。「妥協しないのが当たり前」というか「恥は一生の恥」というか、お客さんが観るものに対して自分たちの都合を優先させるようなことがあってはいけないと! そういうな心構えは、『赫奕』で仕込まれたようなものです。
「肉体労働アニメ」が放つアナログ風味の魅力

――では、そんな小原さんから見て、当時と現在のアニメ製作現場では、なにが一番変わったと思われますか?

小原:やはり、デジタル化によって身体を使う手間が減ったのが、一番の違いですね。それこそ『赫奕』の頃は、膨大で巨大なセルをおかもちに入れて、階段でズリ落ちそうになりながら運んだりしてましたから。かなりの割合で肉体労働だったんです(笑)。 線撮りだって、もうコピー素材は「白い山」状態で、それを「朝までに何とか切ったり張ったりして、撮影できるようにしなきゃ」みたいなこともザラだったり。結局最後は身体動かしてナンボの世界で、土壇場が修羅場になるのも現場の風物詩みたいなものでした。
 今は、線撮りひとつとってもデジタルで作ってくれる専門のスタジオにお願いできる場合もあります。もちろん演出上もやれることは増えたし、リテイクを出すときの罪悪感も大幅に減ったし(笑)。僕はつい昔のクセで「リテイク減らそうかな」なんて考えちゃうんですけど、逆に直すほうの人から「こんなのすぐ直るのに」って、言われるぐらいですからね。その意味では、僕らの世代が一番デジタルの有り難味を、身に沁みてわかってるのかもしれません。
 ただ苦痛の部分に関して言うと、物理的な重さがデータの重さに形を変えただけで、精神的な大変さは変わんないと思います。

――では制作環境ではなく、作品はどう変わったと思いますか?

小原:『赫奕』に関して言えば、「アナログの良さ」みたいなモノが生きている作品だったと思います。まず「実写として撮るならこうだ」というビジョンがあって、少しでもそれに近づけるように、例えば手作業でこさえた素材なんかを複合的に使って組み立てていくようなこともあります。必ずしもその仕上がりが実写そのもののリアルさではなく、アニメならではの記号的と言うか、独特な見映えになっているところが面白いですね。最近はデジタル特有の、擬似実写的な表現がある種の様式としてあるけど、その出発点って今西さんのような実写志向の演出さんたちが、技術的な制限のあるなかで少しでも目指すものに近づけようとした、トンチと勇気と洒落っ気にあるように思います。実際『赫奕』には、よく観ると「これよく撮ったなぁ!」っていう画が、いっぱいありますよ。

――セルアニメでやってるのかと思うと、確かにゾッとしますね。

小原:『赫奕』はアナログだった時代に、色んなことを手変え品変えやってるんです。ですからDVDでは、そのへんにも気をつけてみて頂きたいですね。僕にとっても、「セルを重ねて撮るだけのフィルムが、ちょっとした工夫でどんなに奥深くなるか」っていうのを、見せてもらった作品ですから。